2020年10月30日

欧米マネジメントと日本の違い

いきなりの話題転換だが、日本の大きなプロジェクトに入ると、なかなか自分のスタイルで仕事ができないので、窮屈だなぁと感じることがある。それでも私は好き勝手やっている方ではあるので、どうして他の人は窮屈に感じないのかと不思議に思う。感じているけども、これが一般的だと諦めて我慢しているのかもしれない。

イギリスやオーストラリアで働いた時はそうだった、向こうのプロジェクトマネージャの意識は日本のそれとは全く違う。
私も2つの会社で働いただけだし、IBM社員とそれ以外の人達は少し違っているとも思った。IBM社員の方が日本人に違いと思ったり、またイギリス人でも日本人的な発想をする人はたまにいる。

欧米のマネージャはマイクロマネジメントを嫌う。自分はマネージャとして仕事を任されたわけだから、結果を出せばよく、途中経過を細かく報告することを嫌うし慣れていない。マネージメントされることも極端に嫌う。もちろんやり遂げられなければ彼らはクビになるし、クビにされると業界の評判が落ちるので、失敗しても次があるからいいやという気楽なものではない。彼らは転職の際にReference Letterなるものを元の会社や上司などに書いてもらうので、不真面目には仕事をしない。

然しながら、日本人はマイクロマネジメントを好む。国民性の違いと片付けて良いものか。

1つの理由として、外国ではSOW(Scope of Work)が定められ、JOBの達成に対して報酬を得る契約の元、仕事を行う。
ところが日本の会社における仕事の定義は曖昧である。また、責任の範囲がそもそもの仕事の範囲を超える。
例えば、資材調達の遅れによって工期が延びたとする。工期の遅れは資材の遅れが原因なのだから建築責任者のせいではない。
ところが日本だと、資材の遅れを挽回するために残業をして頑張ろうということになったり、そもそも資材の遅れを事前にキャッチして、リカバリー手段を事前に考えておくべきだという主張が展開される。

この考え方が決定的に異なる。欧米では建築責任者に資材遅れの責務はなく、その責任やリカバリーはさらに上位マネジメントであるゼネコンのマネージャだったりする。ところが日本では、上位マネージャは、遅れが分った時点で対策を取っておかないお前が悪いとか、そういうのを見越してスケジュールを組めとか無茶振りをする。

だから、上位下位であったり、横並びのチーム間でも進捗を気にしなければならない。良い言い方をすると、境界を越えてチームワークが働く、であるけども、逆を言うと他人を構い過ぎる。そこがマイクロマネジメントに繋がるのではないかと考える。

だから日本の会社が海外の支店を出したり、M&Aした会社でプロジェクトが起こると、途中経過が気になって仕方がない。
日本ではふつうのマネジメントをしてしまうと、ローカルスタッフから容赦ない反発を受ける。
かつ、日本人からすると彼らのマネジメントスタイルは緩く、受け入れがたいものに映る。

ローカルスタッフからすれば、契約通りのSOWを果たしているのに、何故日本人は気に入らないのか?
ということになってしまう。

日本人は日本人の常識があるし、現地支店や子会社を「支配」しているという上下関係を無意識に作り出してしまっているから、彼らの反抗理由が理解できない。

どちらが正しいというわけではないが、日本は世界の中でも特殊なマネジメントであるだろう。
それは日本と言う国が日本人という均質な人で構成されているからでもある。
マルチカルチャな世界であれば、様々な考えやスタイルがあるということが常識であるが、
日本では様々な考えスタイルの1つである日本人的なスタイルが全てだと思い込んでしまう。












posted by しもす at 00:00| Comment(0) | IT業界

2020年10月24日

明治維新とは何だったのか 半藤一利+出口治明

最近気になることの一つ。

今の日本の政治家、官僚が遅々として改革を進められないのに、
同じ日本人である明治の先達がどうしてあれだけの短期間に様々な改革を成しえたのか?
そして極東の小さな国が、列強の国々と肩を並べられるようになったのか?
不思議で仕方がない。

財政改革、教育制度、年金問題、行政デジタル化、マイナンバーの普及、コロナ対策、移民問題

小粒ぞろいで大きなビジョンを語る政治家がいなくなったのも原因だが、それは何故なのか?
明治時代には、内戦、暗殺であれだけの有能は人が死んでいっているのに、どうして残った人間だけで、明治維新という偉業を成し遂げることができたのか?

そこで少し明治時代の本を読んでみようという気になった。その手始めがこの本。
この本から学んだのは、

長く鎖国していた日本が世界の列強と肩を並べるためのビジョンを描いたのは、江戸幕府の老中首座を務めた阿部正弘がグランドデザインを描き、大久保利道が引継ぎ実践をしたこと。この2人のビジョンを描く力が後の日本を作ったと言っても過言ではない。その他有能な多くの理想化、実践家が排出されている。勝海舟、西郷隆盛。(伊藤博文は彼らの中では格下だった・・)

改革に必要なことは時間だ。合議制では時間がかかるだけで、そこそこ60点程度の案しかまとまらない。革命的とも言える、リーダーが現れ、統率することが必要なのだ。日本では大久保利通。リーダーは私欲ではなく公を第一義に考える人でなければならない。また一部を切り捨て、犠牲を伴うことを良しとしなければならない。批判は受け止める(あるいは受け流す)精神的なタフネスがなければならない。大久保利通が明治開国の時に居合わせたことは日本にとって幸いなことだった。
私利私欲や権勢欲に動く独裁者であったなら日本は不幸な国の一つであったろう。それはたまたま偶然のことなのかもしれない。

日本の独裁者がスターリン、ヒットラー、スハルト、チャウシェスク、毛沢東であったなら今のような幸福な日本ではなかっただろう。感謝したい。

しかし、明治時代の改革は半端無い速度で行われている。単に協力が独裁リーダーがいたからというわけではない。
築地の移転に何年ももたもたしているのと訳が違う。

posted by しもす at 00:00| Comment(0) | 読書

2020年10月23日

「過干渉」をやめたら子どもは伸びる

「過干渉」をやめたら子どもは伸びる - 西郷孝彦

2010年、世田谷区立桜丘中学校長に就任し、生徒の発達特性に応じたインクルーシブ教育を取り入れ、校則や定期テスト等の廃止、個性を伸ばす教育を推進。

今の日本に欠けているのはチャレンジするということ。
いろいろな教育を考えられる人は多いかもしれない。でも実践となると別。

では、何故実践がそれほど困難なのか?

この本には負の面が書かれていないが、2010年にこの教育を始めた時は大変だったろう。
不登校生徒だけが通う特殊な学級で実践したわけではない。世田谷区立の普通の公立学校であり、いわゆる「普通」の生徒も通う学校だ。

その中に不登校生徒やルールを守るのが「苦手」な生徒に居場所を与え、常識的な校則やテストを廃止した。
一番の問題は「普通」の生徒の親だろう。

 −授業のチャイムを無くすなんてとんでもない
 −宿題を無くしたら勉強しない
 −成績が下がっていい高校に行けない責任を取ってくれるのか!

こんなクレームが大量に押し寄せて来そうである。
最初からこのような教育思想を掲げる私立であれば親も納得の上入学させているのだから、クレームにはなりにくい。
しかしここは、西郷校長が来る前は「普通」の公立学校である。

仮に西郷先生が一切のクレームに微動だにしない、鉄のような精神の持ち主であったとしても、
学校職員全員が同じ精神を持つことはできない。職員の精神がもたないだろう。
それをどのように乗り越えたのか?

また、もしも粗暴な生徒がいて、「普通」の生徒に暴力を働き、一生の障害を負わせるような事件を起こしたら?
親からだけではなく、新聞やマスコミからも非情なパッシングを受けるに違いない。
ルールのある日本の普通の学校でも一定の確率で起きるような事件も、その特殊な学校で起きた場合、
「ルールがないこと」と「事件を起こした」ことが因果関係のように捉えられしまう。

「確率的にはこのような事件は普通の学校でも起こる。学校のポリシーに反省すべき点はあっても否定するものではない」
というような発言をしようものなら、「教育者としてあり得ない発言である」というような意味不明のパッシングを受けるのだろう。

実践の障壁の高さは、「失敗」や「事故」に対して世間が寛容でないことである。
日本社会が特にこの傾向が強いような気がする。
日本は均一性を好む社会であり、その基準から外れることを極点に忌み嫌う。
外れた人に対して、容赦なくパッシングを浴びせる。
SMSという匿名のパッシングツールがその非情さに輪をかけて行われる。

このやり方を変えて行かなければ、日本人が学校、会社、社会で感じる閉塞感は打開しないだろう。
日本人が寛容さを持つにはどうしたらよいだろうか?










posted by しもす at 00:00| Comment(0) | 教育