2021年03月11日

わかりやすさの罪

『わかりやすさの罪 』武田砂鉄

読みたいと思っていた内容と違っていた。
いつ期待したことが書いてあるだろうと、読み進めてみたがずっと出てこない。
だからその違和感が終始漂っていたために、あまりすっきりしない読書感が残った。
それにわかりやすさの何が「罪」なのかがいまいち納得できなかった。
恐らくわかりにくいものをわかりやすくする話者が加害者で、同時に話者が被害者であるという構図。

いっそのこと読みたいと思っていたことをここに書こう。
私が期待したことは、情報の受け手が被害者になるという構図である。

まだまだとは言え、エドテックがだんだん世の中に浸透してきた。
浸透が遅いのは、勉強しない教師と教育放棄した親が多いことが原因である。
賢しい子供は既にスマホでスタサプなどを使いこなしている。

学校の退屈な授業よりもわかりやすく、その気になればどんどん進める。
5教科4択の問題が毎日配信されるアプリもある。
通学、休み時間、塾の帰り、小間切れの時間でも学ぶことができる。

その効果はてきめんで、学校のテスト程度は簡単に思えるようになる。

さて、これはいいことなのだろうか?
知識を得るのはいいことだ。しかも早く正確に。
書物を読むだけではわかりにくい。地理も世界史も映像となって現れる。
放物線が目の前のスマホに描かれ、代数と幾何がイメージとして混ざり合う。

本当にこれはいいことなのか?
人が一番大切なことは思考することではないのか?
このような「学習」において思考力は養われているのか?
難しくも複雑な世界の成り立ちを「簡単」に理解できると思う過ちを犯してはいないのか?

戦後に続く今の教育は詰め込み教育であると批判の声が大きい。
では今のエドテックが提供しようとしているものは、詰め込みではない、思考のための教育なのか?
詰め込み=忍耐と努力と勘違いしていないか?
だから忍耐と努力を求めない、クールなエドテックは詰め込みの対局であると勘違いしていないか?
これは形を変えた詰め込み教育である。
忍耐と努力を求めない詰め込み教育のそのもの。

そしてここからが「罪」なのだが・・・
わかりやすい教材は、子供から読解力と思考力を奪っている。
従来の教材では1割の生徒しか理解できなかったものが、AI教材では5割の生徒がある水準まで理解できるようになるかもしれない。

ただし、本来1割のトップ集団は身に付けるべき読解力と思考力を奪われた可能性がある。
知識がうわべだけに留まり、定着せず、他人の考えた道筋をコピーするだけの大人になってしまう可能性はないか?

これがわかりやすさの一番の「罪」と言える。


posted by しもす at 00:16| Comment(0) | 読書