2021年04月28日

10年後の仕事図鑑

『10年後の仕事図鑑』堀江貴文 x 落合陽一

AIに置き換えられる仕事として2つの代表的な特徴は、

1.不当に給与とインセンティブによる資産が高い仕事。組織を管理するだけの経営者など。
2.定型的な仕事のため低コストで、かつ携わっている人が多い仕事。一般事務全般。

これに当てはまる職業をいくつか並べて紹介している。

この中に弁護士というものがあった。
弁護士は法律はもちろんのこと、過去の膨大な判例を記憶し、それを適切なタイミングで検索し、弁護する。
膨大な法律と判例を記憶することは、もう人間がAIに勝てるはずはない。
だから、現時点ではAIをアシスタントとして、膨大な凡例の検索をさせればよい。
適切なタイミングで検索し、弁論を組み立てるのは従来の弁護士の仕事である。

ただ、法律や判例の適用も学習することができ、人間を凌ぐようになれば、もう弁護士は不要になるだろう。
弁護士がいらないのなら、検事もいらなくなる。
そして、AI弁護士とAI検事の主張を聞いて判決を下す裁判官もAIになる。

3者がそれぞれ過去の全ての裁判をシミュレーションし、議論を戦わせ、判決を下す。
最近のは、囲碁の差し手をAIが分かれて演じ、ルールも知らない素人から、1時間程度で世界トップ騎士レベルの実力を身に着けたという。
これを弁護士、検事、裁判官の3つのAIが演じ、全ての判例を教師として学習すれば、造作もないことである。
彼らは全く同じ法律、判例を共有し、それぞれの立場という違いだけで勝負を競うのである。
現実世界のように国選弁護士と年に数十億稼ぐ弁護士で能力に差が付くことはない。
彼らを雇うコストはほぼタダなのである。

だから金持ちと貧乏人で公平な裁判が受けられる。ヒトの顔色を見たり偏見から判決を下す陪審員とも違う。
法律という絶対的なコードに従って、全く同じ判決を下すのである。完全な法治国家の姿だ。

もっとも、彼らAIは過去の事例から学ぶのだから、女性差別を正しいものと答えを出したり、戦争を肯定するような判決を下すかもしれない。過去の判例は必ずしも現代人の常識に照らし合わせて正しいというわけではないから、必ずしも「正しい」答えを導くとは限らない。それを指導する人間というのは必ず必要なのである。

posted by しもす at 21:32| Comment(0) | 読書

2021年04月27日

失敗に学ぶということ

失敗に学ぶというのは非常に有意義なことだ。
ただ、自分の失敗を深く反省し、それを将来の糧とするのは非常に難しく、凡人にはなかなかできることではない。

何故だろう。自分が惨めでバカで負け犬だと思えるからだろう。
誰も自分がそんな風だとは思いたくない。
運が悪かっただけだと思いたい。

ただし、人の失敗を学ぶことは気が楽である。自分の経験だけだと高だか数年から十数年程度の積み上げである。
ところが人の失敗には限りがない。

出口治明さんが「たてよこ算数」ということを言っていた。
縦は歴史から学ぶ、横は現代の他の国から学ぶ、算数は数字で理解ということ。

自分は出口さんの書籍を読む前から、日経コンピュータの「動かないコンピュータ」などの記事を読み、失敗の原因を学ぶように心掛けて来た。次の段階として自分ならどういう判断をするだろう?と思考するようになった。ただし、結果がわかっている現在から過去の失敗の分析、つまり回避する道を選べるかを判断することは困難である。

今、読み中のナシーム・タレブの『まぐれ』はこういう偶然のできごとを後付けで説明できると考える、「後知恵バイアス」を解説した本である。

だから失敗学の本当の境地は、「自分をその時間、空間に身を置いて、同じ情報を持っていた時に、異なった、正しい判断ができるか?」ということを後知恵バイアスに全く影響されずに思考できるかということである。

そういう意味で、先日書いたみずほのシステムトラブルの報道など「後知恵バイアス」のオンパレードで、みずほを批判する人、特にITの専門家が、みずほのプロジェクトを率いる人間だった場合、違う判断ができていたかということである。

歴史を学ぶということも、同じこと。
学ぶべきことは単なる史実の羅列ではなく、為政者や王様がどうしてそのような愚かと思える判断をしたのか?
愚かと思えるのは、歴史を盤上に眺める、現代人の視座であって、本当に自分をその時空間に置いた場合、愚かでない判断をすることができるのか?これをとことん突き詰めて考えることが歴史を学ぶ意義である。

出口さんの本を読んでから、歴史についてもこの思考を意識するようになった。

歴史だけではなく、政治家や会社のマネジメントに対する不満、不平。これらを自分だったらどのように判断するのか?
何がどこまでが不公平と言われ、どこからが支持を受ける不公平なのか?(完全公平は判断はない前提)

みずほの報告書でも、なぜ2月の週末に定期の重い処理を流したと判断したのか?
何故、障害が発生した時にカード、通帳を返さないATMを作ったのか?

それを明らかにせず、組織の問題、横連携の問題などと、お茶を濁されては、同じ失敗を繰り返すだけだ。
それだけではなく、本当に正しい判断よりも、障害を回避するだけの理屈が正しいとされてしまう。
チャレンジする人間をバカ呼ばわりし、慎重で慎み深い自分が権威ある、正しいと人間と勘違いする本当のバカが権力を持つ。

これが哀しいことに日本のIT業界の現状である。

posted by しもす at 21:35| Comment(0) | 読書

2021年04月25日

みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史

『みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史』日経BP

中身の薄い内容だった。
日経コンピュータの記事を寄せ集めたものなので、仕方ない感はあるが、それにしても新鮮味の無い上面の言葉を慣れべていただけである。SOA、経営陣のIT重視、それだけなら何とでも言える。19年、4700億円もかけて構築したシステムのどこにその価値があったのか。そもそも銀行の中が2つか3つに別れていたものを何とかしましたでは目も当てられない。19年もの長い年月をかけるというのはシステム開発にとって、それだけでリスクである。当然、何も目新しいアーキテクチャなどない。

それはいい。だったら早くこのプロジェクトは失敗でしたと認めることである。
思っていても口には出せないだろう。可哀想であるが、それが銀行のトップの責任と言うものだ。
プロジェクトにかかわっていた人は数万人単位でいるかもしれない。
救済事業、公共事業ではないのだ。中にはこのプロジェクトで働き盛りの技術者人生を終わらせてしまった人もいるはずだ。
そしてやっとのことで終わったと思ったら浦島太郎状態。もうMINORIの保守でしか生きていけない。

障害関係記事もほとんどなくなってしまった。
気づいていなかったが、4月5日にみずほのホームページでシステム障害に関する報告書が載っていた。
運が悪いとしか言いようがない。

大規模障害は必ず起こる。
原因は様々で単一ということはなく、常に複合原因である。
また小規模で終わるか、大規模障害に発展するかは運が左右するとしか言いようがない。

それなのに、世間は「犯人捜し」をしようとする。
そもそも銀行勘定系など、障害テストもさんざん繰り返し行っているのだから、大規模障害に至るなど運が悪いとしか言えないのだ。

2月28日のATM大規模障害に始まる、みずほ一連の障害のうち、2回目のネットワーク機器によるATM29台の障害、3回目のみずほダイレクトの超小規模障害は、通常なら新聞に載るような障害ではない。4回目の外為障害はやや中規模かもしれないが、それでも新聞には載らないだろう。
1回目の障害は幅広い影響が出たこと、障害が重なったこと、そして20年前、10年前の障害を思い出させたことが、悲劇のお膳立てをしていることになる。

ところで、みずほの報告書には正確に障害の原因を分析し、報告しているのだろうか?
いや、全く分析されているとは思わない。
自分もこういう障害レポートを書いてきた人間として、かばってあげるとすれば、分析はできているのだけど、世間に発表するととんでもないこになるから、一般的な「組織の改善」「人の改善」などという答えのフレームワークに押し込めただけのレポートになっているのだろう。そう信じたい。

当初新聞に叩かれていた3点、

@ どうして定期の臨時処理を月末、2月に実施するという判断をしたのか?(当然避けるべきタイミングである)
A 定期のシステム障害がATMの障害に及んだのか?
B どうしてATMはカードや通帳を吞み込んだのか?

@についての言及は全くなし。
ABについては、アーキテクチャとして正しいと判断したのか?或いは見落としであったのか?その点についての言及が全くない。BはMINORIより前からの設計であると記載があったので、見直しが無かったのかもしれない。あっさり仕様変更している。恐らく人的体制も含めて、大規模障害を想定してなかったのだろう。

システムのアーキテクチャ設計は常にトレードオフである。その中で苦しみながら最善と思われる方を選ぶという試練の連続である。ただしポーカーの素人だって、プロを負かすこともあるように、偶然が重なって「最善」に設計されたシステムでも障害を起こすことはある。

そうなった場合、システムの責任者は気の毒である。マネジメント、新聞、顧客は後出しじゃんけんで言いたい放題。
フェアな報告をしてほしい。どうしてそのような設計にしたのかを真摯に語って欲しい。それを世間は言い訳と捉えるだろうが、バカは言いたいことを言わせておけばいい。それを語り、シェアすることが技術者の責任である。我々技術者に理解できる言葉で語ってほしい。

それをしないといつだって技術者の分が悪い。悪い目の出た勝負しか記憶しないマネジメントや世間が、一生懸命「悪手」を勧めようとする。システム開発はそういう窒息しそうな状態に陥ってしまっている。

posted by しもす at 23:32| Comment(0) | 日常