『シン・ニホン』安宅和人
この本の主旋律ではないが、面白いなぁと思った箇所があったので、書き出してみる。
若い人に対して、こういう人になれというメッセージ。
「運・根・勘・チャーム」
異質なのがチャーム。
ただ、人として一番大切なものはチャームではないかと強く思う。
チャームはどこからくるのかという分析は以下のように続く。
・明るさ、前向きさ
・心の強さ
・信じられる人であること、人を傷つけたり騙したりしないこと
・包容力、愛の深さ、心の優しさ
・その人らしさ、真正さ、独自性
・エネルギー、生命力(運気の強さ)
・リスクを取って前に進める提案力、実行・推進力
・建設的な発言
・協力し合う、助け合う人柄、耳を傾ける力
・ユーモア、茶目っ気
・素敵な裏表のない笑顔
なんという贅沢な要求・・・という感じはするが。
チャームとは結局、第三者から見た時の魅力ということであるから、どれだけ「かわいがってやりたいか」ということである。
利発で明晰な子供、弟子、後輩よりも、多少鈍いところがあっても、教えたくなる、かばってやりたくなるという人間はいるものである。
これがチャームだ。
社会で生きていくにはチャームこそが重要で、それ以外の才能は多少劣っていても問題ない。
残念なことに、少々勉強ができたり、利発な子供は、優越感に浸る。
エリート意識があるのは、逆に他人を貶めているということだ。
それゆえ、他人に対して思いやりが欠けていたり、痛みをわかることがない。
そういう人間はテストでいい点を取れるから、いい大学に行って、大企業に就職して、年収も高く、世間的には「いい暮らし」をする勝ち組になるかもしれないが、人間関係は好ましくない。また、恨みや妬みを買われることが多いので、足を引っ張られて、落ちぶれることもあり得る。
ところが、チャームのある人は、周りの人が助け、教え、導いてあげたくなるから、自分の持てる実力以上の運命を切り開くことができる。
チャームは生まれもっての性格のような気もするが・・赤ん坊の時は誰でもチャームを持っていて、誰からも愛される。成長は、チャームを失う過程である。生まれ持っての性格というのではなく、生まれた後の問題なのである。
最近私の会社関係で仕事をしていた人が、転職のために契約が切れた。彼は頭は良く、根気があり、責任感はある。仕事の環境も少し可哀想なところがあって、チームリーダーがポンコツなので、まともな指導も受けられなった。
とはいえ、彼をサポートしてあげようという気が起きなかった。努力しているのはわかるけどそれだけ。
頭ではサポートしてあげようと思っていても、人間としてのチャームが全く欠けていたので、どうしても優しくなれなかった。こちらが注意したことに対して、いちいち口答えする。引継ぎ資料の作り方を指導しても、自分もこの程度の資料しかもらえなかったと愚痴る。少し褒めると、それくらいできます、というそっけない返事。
その性格が問題だと教えてあげる気も起きなかった。非常に損をしている。
私もチャームがある方ではないから、今更ながら損をしたかもしれないな。
私もチャームがある方ではないから、今更ながら損をしたかもしれないな。