2021年07月15日

シン・ニホン

『シン・ニホン』安宅和人

この本の主旋律ではないが、面白いなぁと思った箇所があったので、書き出してみる。
若い人に対して、こういう人になれというメッセージ。
「運・根・勘・チャーム」
異質なのがチャーム。
ただ、人として一番大切なものはチャームではないかと強く思う。

チャームはどこからくるのかという分析は以下のように続く。
・明るさ、前向きさ
・心の強さ
・信じられる人であること、人を傷つけたり騙したりしないこと
・包容力、愛の深さ、心の優しさ
・その人らしさ、真正さ、独自性
・エネルギー、生命力(運気の強さ)
・リスクを取って前に進める提案力、実行・推進力
・建設的な発言
・協力し合う、助け合う人柄、耳を傾ける力
・ユーモア、茶目っ気
・素敵な裏表のない笑顔

なんという贅沢な要求・・・という感じはするが。
チャームとは結局、第三者から見た時の魅力ということであるから、どれだけ「かわいがってやりたいか」ということである。
利発で明晰な子供、弟子、後輩よりも、多少鈍いところがあっても、教えたくなる、かばってやりたくなるという人間はいるものである。
これがチャームだ。
社会で生きていくにはチャームこそが重要で、それ以外の才能は多少劣っていても問題ない。

残念なことに、少々勉強ができたり、利発な子供は、優越感に浸る。
エリート意識があるのは、逆に他人を貶めているということだ。
それゆえ、他人に対して思いやりが欠けていたり、痛みをわかることがない。
そういう人間はテストでいい点を取れるから、いい大学に行って、大企業に就職して、年収も高く、世間的には「いい暮らし」をする勝ち組になるかもしれないが、人間関係は好ましくない。また、恨みや妬みを買われることが多いので、足を引っ張られて、落ちぶれることもあり得る。

ところが、チャームのある人は、周りの人が助け、教え、導いてあげたくなるから、自分の持てる実力以上の運命を切り開くことができる。

チャームは生まれもっての性格のような気もするが・・赤ん坊の時は誰でもチャームを持っていて、誰からも愛される。成長は、チャームを失う過程である。生まれ持っての性格というのではなく、生まれた後の問題なのである。

最近私の会社関係で仕事をしていた人が、転職のために契約が切れた。彼は頭は良く、根気があり、責任感はある。仕事の環境も少し可哀想なところがあって、チームリーダーがポンコツなので、まともな指導も受けられなった。
とはいえ、彼をサポートしてあげようという気が起きなかった。努力しているのはわかるけどそれだけ。
頭ではサポートしてあげようと思っていても、人間としてのチャームが全く欠けていたので、どうしても優しくなれなかった。こちらが注意したことに対して、いちいち口答えする。引継ぎ資料の作り方を指導しても、自分もこの程度の資料しかもらえなかったと愚痴る。少し褒めると、それくらいできます、というそっけない返事。
その性格が問題だと教えてあげる気も起きなかった。非常に損をしている。

私もチャームがある方ではないから、今更ながら損をしたかもしれないな。






posted by しもす at 22:02| Comment(0) | 読書

2021年07月05日

ステップ式の弊害

私も使っていたが、「ステップ式」という参考書のシリーズがあった。
このタイトルでなくても、100%の学習参考書はステップ式である。
つまり、達成するレベルがあって、そのレベルに向けて、知識を積み上げていくように、一つ一つの項目を、無理なく学習するという方式である。
特に、数学、英語など体系的に学習し、前に習った項目が、次の知識獲得のための前提となるような教科においては、有効な方式である。
一見何も問題と思えないこの方式のどこが弊害なのか?

大きくは2つ。

ステップを踏み外すと落ちこぼれる

本当はそんなことないのだけど、理解できない点があると、その先も全く理解できないと信じ込み、先に進もうとしなくなる。結果落ちこぼれてしまう。

ステップを飛ばして進むことに気持ちの悪さとストレスを感じる

これは勉強ができる人に多いのではないかと思うけど、例えば70点くらい取ればいい試験があって、(高校、大学入試、資格試験なんて全てこれでいいのですが)7割の努力と時間で済ませばいいものを、ステップ方式だと、10割の努力と時間をかけてしまう。

実は2つ目の方が問題ではないかと思う。
勉強のできる子供は、公立高校であれば、中学くらいまでは学校のテストは満点に近い点数を取れるはずである。
それほど多くの時間をかけなくてもいいし、努力も人並みで問題ない。
だから人が決めたステップ方式で、勉強していればほぼ満点が取れるし、大した工夫もいらない。

ところが、社会に出ると、満点の仕事などないし、逆に不要。それはきっとコストを掛け過ぎた無駄遣いな仕事のはずである。
満点を取ることに慣れてる頭の良い人は、どうしても厳密な積み上げをしたがり、途中手を抜いたり、人に任せたりするような仕事が下手である。その結果、無駄な時間をかけ過ぎて自分の時間を犠牲にしたり、周囲の人を巻き込んだりしてしまう。

システム構築の世界では、ほぼ満点を取らないといけないところもあれば、手を抜いていいこともある。
この区別がつかない人が多い。かつ金融系の人はこの傾向が強い。(システム障害になると新聞に載るからね)
しかもアウトソーシング契約や一括請負契約をしていると、一旦は発注した契約は発注側にコストダウンの意識が薄れる。
そのため10割の仕事を要求する。(本当は発注側、受注側ともに高コスト体質になるから、知らず知らずのうちにコストアップしている)

みずほのトラブルが悪質なのか、偶然(悪い目が3回連続たまたま出ただけ)なのかを極めるのは難しい。
だけど、そういうことも確率的に起こりえることは理解すべきである。そうしないと、1%の障害発生を抑えるのに、数百億のコストを使うことにもなりかねない。トラブルに関して欧米の銀行、システム、メディアは寛容に思うが、どうして日本は寛容になれないのだろうか?

posted by しもす at 14:36| Comment(0) | 教育