2021年09月30日

上級国民/下級国民

『上級国民/下級国民』橘玲

橘氏の本はかなり前に『言ってはいけない』を読んで依頼。
最近『無理ゲー社会』を出版されたので、江東区の図書館で待ちにしたら2冊に対して100人くらいの列だった。
これくらいの待ちがあり、橘氏のような著名な著書であれば5-6冊くらいに増やしてくれるんだけど。
このままだと順番回ってくるのが2年後くらいになる。

そこで『上級国民/下級国民』を借りてみた。

5章リベラル化する社会は読みやすく、すっと腹落ちする内容だった。

近代化とは、自分の人生を自分で選択するという自由を得るということ。
前近代のように土地に縛られた農民でもなく、徒弟制度による職業の選択がない世界ではない。
人種、国籍、家柄、身分、性別、年齢に捕らわれずに、個人としての自分があるのみ。
自己実現を満たすのは自分の能力のみで、本人の努力や能力が正当に評価され、それが社会的な地位や経済的な豊かさに反映されるべきだという思想に至る。それが「能力主義(メリトクラシー)」であり、リベラルな社会の本質である。

一見「平等」に見えるリベラルという思想は究極の自由主義、平等主義なのか?
生れた家が貧乏だからと言って、何をどう頑張っても、一生不幸な境遇であるならそれは平等な社会とは言えない。
ただし、貧乏な家に生まれても、本人の努力次第で成功して、豊かな生活を手にいられるのであれば、より平等と言えるだろう。

以上が5章のまとめ。

これに対して、能力主義も公平とは言えないという立場がある。
よくある統計として、裕福な家の子息は有名な塾に通ったり、家庭教師を付けられるから、大学進学率が高いというもの。
仮に同じ能力のある2人が貧乏な家と金持ちの家にたまたま生まれただけで、将来裕福になる確率が違う。
これは公平ではないと。
この差を埋めるための制度が必要であると主張する人がいる。

仮に生まれの不公平差を除き、全く同じ条件で競争することが平等なのか?
というと、これもまた違うという。それを説くのがマイケル・サンデルの『実力も運のうち』だ。
(これも図書館の順番待ち・・)
人間には努力できるとか、能力を発揮できるかというのは、遺伝子に埋め込まれている情報であって、それは個人の努力ではどうしようもないというもの。(読んでないので、書評からの知識。違ったらごめんなさい。)

これは困った。自分は小学校の頃から頑張って人より勉強して、いい大学に入り、いい会社に入り、経済的にも豊かになった。これはまさに、遊びやテレビの時間も削って勉強して、辛い思いをしたからに他らない。と思ったら大間違い。あなたは、たまたまそういう努力ができる脳をもった人に生まれただけです。運が良かっただけですよ。
と、そう言われているんだ。

努力した人にはたまらないし、だからなんなんだ?運がいいのは悪いことなのか?と開き直りたくなる。
一体社会の人は、リベラルなのかアンチリベラルなのか、どっちの立場を取るのだろう?
私自身は若い時はバリバリのリベラルだった。今はややアンチの意見も聞いてみたいという立場。
法則としては、自分の努力で成功したと思っている人はリベラル。努力してもだめだったり、不幸、貧乏のままだったりした人はアンチではないかと思う。論理的な主張というよりは、その方が都合がよいから?

少しわからないのは、アンチの人たちが何故そのような反リベラルな立場をとるのかということ。
最近ベーシックインカムの本を数冊読んでみて、反ベーシックインカムの人達の主張を知った。
個人的には賛成ではないが、その人たちの主張は事実かもしれない。ただ、事実としても、どうしてそれを支持するのかが理解できない。人は正しいと思うことを支持するのではなく、支持したいから支持しているというのは自論。
なぜ支持したいのだろうか?別の機会に書いてみたい。








posted by しもす at 00:00| Comment(0) | 読書

2021年09月24日

システム開発の丸投げは悪いことなのか?(4)

複雑なシステム開発はコンポーネント足し算ではなく指数関数的に難しくなるのだから、ベンダー側は相当の能力が必要となる。人材も必要だが、そのような人材は極めて少ない。だからベンダーはどれだけ最善の注意を払っても、ミス、バグ、システム障害は避けられない。
発注者はそれを、もちろんベンダーの責任であると判断するのだが、発注者のプロジェクト担当者(システム部門)は、上位マネジメントから監督責任を責められる。だから彼らは「厳しい」レビューをする他ないのである。厳しいとは正しいではなく、より障害を起こさない方向のレビューとなる。例えばテストケース消化であれば、コストは度外視し、多くのケース、現実に起こる可能性のあるケース、網羅したケースを消化したかを重視する。

コスト度外視と書いたが、システムインテグレーション契約であれば、発注側のコストは一定でり、ベンダーの利益を圧迫する。ベンダーは何とかしてテストのケース数を減らそうとするが、発注者が納得しない。何とか論理的に説明できたとしても、後続で「バグ」が発見されると(開発中の「発見」であれば、予定通りだから問題ないはずなんだけど)、前工程のテストやレビューに問題があった、もっと強化すべきだという結論になる。

ベンダーはコストはアップするし、知的創造活動を単純労働に変えられてモラルは下がり、優秀な社員は腐ってしまい、何もいいことはない。発注者のレビュー強化が辿る道はこんなところだ。

今日の新聞に金融庁が異例の措置。みずほのシステムに「強硬介入」、金融庁がシステム共同管理という記事が載った。もちろん障害は減るかもしれない。ただそれは品質が上がるのではなく、障害回避のために膨大なコストをかけ(本来収益拡大につながるシステム投資を止めた結果)、障害になるような拡張を避け、通常の開発期間を2倍にして障害を無くしているだけである。MINORIの改修が必要かもしれない、と記事では言及していたが、稼働しているシステムの問題点などあげればキリがない。改変するにしても、大幅な改定はなく、何か実績を残すためにお茶を濁すような改修をやるだけだろう。

金融庁なんてシステムの素人なのに、システムのことに口出しをするとは権力乱用である。
インシデント発生時のフローの改善や業務継続計画を改修するにとどめて欲しい。


さて、そろそろ結論である。

自分たちは専門家ではないからと言って、システム開発を丸投げするのは良くない。
ただし、ベンダーを信用せず、システム開発の残念な「限界」を知らずに、介入するのは解決にならない。
発注者、ベンダーお互いに信頼関係を築き、それぞれの役割に応じた活動を果たしていくことがベターな解決方法と考える。













posted by しもす at 00:00| Comment(0) | IT業界

2021年09月20日

システム開発の丸投げは悪いことなのか?(3)

システムインテグレーション契約は結果にコミットするものであるが、1年以上もかけるプロジェクトの結果が失敗では発注者側はたまったものではない。そこでプロジェクトはいくつかの「局面」に分けられ、そこで中間成果物を納品することになる。そしてその中間成果物に対して、工事進行基準というルール(本当は会計処理のルール)でベンダーに支払いが行われる。
この納品物に対して、発注者側はレビューを行い、発注者の「定めた」要件を達成していることをチェックする。

と書けば普通のことのように思えるが、このレビューが曲者。
WEBの予約アプリ程度の単純な機能なら、発注者と開発者の関係はうまくいくかもしれない。
ただし、銀行のシステムのように何年もかけて開発するようなシステムであれば、そう単純ではない。
それはシステムとう名に潜む本質、1+1=2にならない世界から導かれる困難さである。
システムは分解すれば複数のサブシステム、レイア―、インターフェース、物理機器、様々な構成物から構築される。
また、それらは1通りの分解ではなく、様々な切り口から分解される。

例えば、積み木で作る家は1つ1つの木のブロックから構成される。単純だし、分解方法は1通りである。
ところがシステムは物理機器、ソフトウェア、通信、利用者、運用、保守作業など、様々なレイアや時間軸や人間が関わる。
だから関係性を考慮するとその数は指数関数的に膨らむことになる。コンポーネントが1増えるとn+1乗の複雑さとなる。

これの複雑性の爆発を抑えるのがアーキテクチャの役割である。

と、少し話が長くなってしまった。
発注者はシステムの専門家ではないからシステムの複雑性を理解していない。
だから彼らは、利用者の視点とコストの比重が高くなる。

ところが、システムを開発する立場からすると、それ以外の視点で考えるべきものが多くなる。
かつ何故その視点が必要なのかという説明が非常に難しい。
そのため、レビューが非常に難航する。
ベンダーは説明責任があるから、(どんなに発注者の理解力がなくとも)、発注者が納得するまで説明をする必要がある。
そのためには発注者の3倍くらいのスマートさが必要だ。いくら優秀な人でもその差を埋めるのは無理である。
だから「説明」した振りをするため、膨大なレビュー資料を作ることになる。

意味のないテストケース数。本当は重複を排除し、網羅性を高める知的な作業なのだが、説明が困難なために、無駄な重複をやってしまう。実行したことの証拠残しのための、大量のテスト証跡取得。画面ハードコピー。エクセルへの貼り付け。
残念なことに、これらはシステム開発を、知的、創造的な活動から、頭を使わない単純労働に変えてしまっている。

素人がレビューすることはこういうことである。
もちろん発注者は発注者の視点でレビューし、ベンダーの説明を理解するように努め、専門的なところは彼らに任せる関係が望ましい。でもそうはうまくいかない。次回に続けよう。








posted by しもす at 00:00| Comment(0) | IT業界