2021年11月23日

楽観論と悲観論

グラスに水がお酒が半分入っている時、みんなは「お酒が半分減っている」と言い、
ナポレオンは「お酒が半分も残っている」と言ったという。

この教訓は、同じ事柄でも、ポジティブに見るか、ネガティブに見るかによって、全く違う捉え方になるということ。
戦争で味方の兵が半分になった時に、もう半分になったとみるか、まだ半分も残っているとみるかで、士気が変わる。
半分になったと思えば、戦いの気力が萎え、ますます味方の兵が減り、負け戦となる悪循環だ。

だからリーダーはネガティブであってはいけない。メンバーの士気を高めるために、ポジティブな思考をするべきだということ。

多くの悲惨なプロジェクトを経験して、これは真理だと思う。強いリーダーは決してネガティブにならず、メンバーの士気を高める。

ただし、本当にリーダーが能天気に未だカットオーバーまで3か月もある。まだまだ時間があるから大丈夫だ。などと本気で思いっているなら危険なことだ。リーダーは常にあらゆるリスクに対処しなければならず、安泰と思うことは厳禁である。
この気持ちを外に出すとネガティブになる。パフォーマンスの悪いメンバーも少し達成したら褒めてあげないといけないし、承認してあげないと、士気が下がり、モラルも下がる。
心配があっても明るく接し、不安をメンバーに見せてはいけない。
それであっても、メンバー全員が楽観的になっては、プロジェクトは進まない。適度な緊張感は持続させないといけない。このコントロールが難しい。

天然で楽観的なリーダーというのは、それはそれで周囲に優秀なスタッフがいれば絶大なパワーを発する気がするが、多くの場合は、楽観的な振りをして、孤独に悩むというタイプが多いのではないか?ナポレオンはどっちだったんだろうか。

posted by しもす at 10:09| Comment(0) | 教育

2021年11月22日

メモの魔力

『メモの魔力』前田裕二

彼の本を読むのは2冊目になる。
未だ読み始めたばかりなので、第1章、『僕にとって「メモ」は生きることである』という節。

学生時代の日本史の先生が先生がまとめたノートを黒板に写し、それを生徒が機械的にただただ書き写すだけの授業。
私の高校の世界史の先生もそうだった。駿台の世界史の先生もそうだった。
歴史の先生というのは、「歴史」という以外に何か共通項でもあるのだろうか?

学問のスタイルなのかな?
ひたすら史書を読み、推論を組み立てる。議論やフィールドワークに乏しい学問なのか?
独自の解釈や発想はご法度なのか。そもそも追試可能という自然科学とは異なる分野で、何を正しいと言うのか?
歴史は相対的な価値しかなく、現政権が作るものか?
となれば、歴史家は只々、「史実」を綴るだけの学問なのだろうか?

そういう歴史家崩れが高校や予備校の先生になるのだろうか。
一応名誉のために添えておくと、2人とも人気があった先生である。
板書したことは試験によく出た。

ただ、歴史を学んだという気はしない。

前田裕二は「これは人間のやるべきことではない」と思ったそうである。
私も最近の口癖は、「これは人間のやることではない」である。たまたま符合した。
たまたまではあるが、彼も私も人間のやることの一方にAIの仕事を意識したのである。
これはたまたまではなく、21世紀という時代に現存する革命であるから、符合せざる得ないのだ。

彼の論理は、メモはただ書き写すものではなく、知的生産に結び付くものである、となり、彼のメモ論に展開する。

ところで若い人は本当にAIを脅威と思っているのだろうか?
彼らにAIが脅威と思わせるにはどうしたらいいか?

若い人たちはAIを受容する側で、仕事を奪われる側ではない。
AIを肌で感じて育った彼らは自然とAIと共存できるのだろうか?
「仕事が奪われる」と感じるのは、既に職業を得た大人たちの勝手な思いなのか?

このような論理を述べる人を知らない。
知らないが、それも10年くらいで、一般的な論調になってくるのだろうか?
少し心配し過ぎなのかもしれない。もう少し見守ろう。




posted by しもす at 21:09| Comment(0) | 読書