2022年02月28日

最悪の予感 マイケル・ルイス(その3)

最悪の予感 マイケル・ルイス(その2)続き

この本は最新のコロナに対する、「特殊」な事情のように見えて、実はどこにでもある日常なんだ。
腐敗する政治家、官僚制度。
組織の上に上るほど、責任を回避する行動。
将来のブラックスワン的なリスクに対する人々の過小評価。
リスクに備えることを唱える人をなじる人々。
リスク予防という仕事の虚しさ。
希望は、どんな腐敗した組織にも、自己犠牲を物ともせず果敢に挑戦する人が、底辺から現れる不思議。

この本でもう一つ学んだ。というか、ここ数年でひょっとしてそうなのかと思い始めていたことをまた教えてくれた。いわゆる自由主義経済は長期的には最も効率が良く、人々が自己の利益を最大にすることで、最も効率的に最大の経済効果が生れるという神話がある。若いころからつい最近まで、この均衡があるからこそ経済に惹かれていたと言える。

ある本では、この均衡は必ずしも「望ましい」均衡でないことを示唆された。(現代経済学の直感的方法


ここでジョーは、民間企業のあり方をさらに学んだ。 いや学び直した。スタンフォード大学の大学院生だったころ、それまでオープンで協力的だった仲間たちが、ベンチャーキャピタルから資金を獲得した途端、閉鎖的になるのを幾度も目のあたりにした 。「いつも通り研究室に行くとある日突然一部の仲間の作業スペースが多いで隠されているんです。」 知識の源としては民間企業はあまりに効率が悪い。今日は度々そう思い知らされた。有望な研究分野が開けても、 会社が頓挫するとともに成果が水の泡と消えてしまう。ジョーとしては苛立だしかった。 金銭的な野心が 科学と進歩を妨げている。 病原体が全米を覆い、経済を停止させようとしているのに、民間セクターからは、お金儲けを目論む悪臭が漂っていた。


以前、何かで読んだコラムだが、震災の時に必要な物資を値上げして売ることは効率化の観点で優れているという記事を読んだことがある。(だから自由経済は素晴らしいということであるが、)値上げをしても売れるということは、震災地に対して、必要な物資を届けるというモチベーションがアップされ、効率よくあらゆる場所から物資が集まってくるという理屈だった。なるほどと思う反面、何か違和感があった。ただ、その違和感が何なのかわからなかった。

それは次のあるいはその次の世代では常識となる、評価経済により説明されるものかもしれない。人はお金を貯めて豊かになることが最終目標ではなく、ある程度の生活が保証されるなら、自分を認めてもらう、評価してもらう仕事を進んでするということである。自分を認めるというのは、より多くの人の助けとなったり、楽しませたりすること。


被災地でペットボトルを2倍の値段で売ることは、経済的には正しいことかもしれない。物資が集まり、多く集まれば供給と需要の関係で、値段は下がっていくだろう。ただし、本当に必要な時期に必要な人に水を十分に与えることはできない。経済効率よりも、善意や評価の総量が自由経済を超える世界になれば、自由経済は修正され、やがて別のものに置き換わるかもしれない。








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2022年02月27日

最悪の予感 マイケル・ルイス(その2)

最悪の予感 マイケル・ルイス(その1)続き

ところが、この登場人物達は、個人に降りかかる悲劇などモノともしない。
パンデミックを防ぐことに全精力を傾けている。それが自分が生れた理由であると固く信じている。
こういう信念でないと、割の合わない仕事はできないだろう。

彼らに対比されるのが、CDCの職員やホワイトハウスの高官。
彼らは自分の信念で仕事に就いたわけではないから、リスクを取ることはしない。
責任を取らされ、現在の地位を失うことを恐れる。

だから、パンデミックの恐れがあっても、何もないかのように振る舞う。
そして、結果的にパンデミックになった場合でも、他の選択肢がなかったという言い訳ばかりを用意する。

官僚組織というのは、どこの国でも同じなんだろうか。
それでは政府とは何のためにあるのか?そのように機能しないものを、作ることに大半の国は税金を集め、政治家を選挙で選んでいる。アメリカ合衆国の機能不全はトランプ大統領にあるのではなく、彼が大統領にえらばれる前からあったのだ。ブッシュがたまたま読んだスペイン風邪によって、パンデミック対策の予算が付き、オバマが継承せず、トランプが追い打ちをかけた。

この邦題、『最悪の予感』はもうすでに現実になったのだろうか、それとも別の予感を暗示しているのだろうか。









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2022年02月24日

最悪の予感 マイケル・ルイス(その1)

『最悪の予感』マイケルルイス

アメリカ合衆国のコロナ報道ではトランプの無策と、トランピストによるマスク・ワクチンの拒否、過激なワクチン陰謀説が報道されていた。このような表面的な報道の陰でコロナと戦う人々の軌跡を描いた秀逸な一冊。
ここには死者60万人と書かれていたが、最新では90万人を超えている。戦いは未だ続いているのだ。

この本から学ぶことは多い。
パンデミックという言葉はあるが、どこか遠い国で起きている出来事のように感じ、自分には関係ないと思ってしまう。日本でもアジアでSARSや鳥インフルが流行した時に、日本は衛生的で、日常から清潔である、はたまた納豆がウイルスに強いなどという都市伝説を交えながら、やはりどこか遠い国の出来事のように感じてきた。

普通の人は目の前に、明らかな危機があれば、それに対しての出費は厭わない。重い病気になれば、評価が下がっても会社は休むし、病院に行って、治療費を負担する。ところが将来の危機に対しての備えに対しての考え方は人それぞれである。本来長期的な将来の危機予測ができるのは動物の中の人間の特権と言える。ところが、危機がどれほどのオッズによるかで、それの対処方法が異なるのである。

感染予防を職業とする人。この本には、コロナウイルスと戦った人の記録が綴られている。こんな割に合わない職業はないと思う。コロナ対策として一般的に行われた(かつ、それなりに批判をあびてた)対策として、国境や県境を越えた移動の禁止、飲食店の閉鎖、学校閉鎖など、これほど広範囲で行われたのは、コロナが初めてである。これより前、スペイン風邪の流行時は一部の州で行われたが、その効果は当時のの政府によっても評価されず、21世紀の一部の感染症に関心を持つ人たちが、有効な対策として再発見したものらしい。コロナ前のCDCにおけるウイルス対策とは、罹患者を隔離する。ワクチンを打つしかなかった。いわゆるソーシャル・ディスタンスという発想はない。

感染症に感心を持つ人が、社会モデルをシミュレーションし、感染症の広がる様子と、対策を講じたところ、ソーシャル・ディスタンスの中でも学校閉鎖が有効だということがわかったという。とはいえ、これはシミュレーションの結果であり、自然科学のような実証説明はできに。また可能性として単にやってみましょうというれレベルの対策ではなく、子供の教育の権利を奪うことになり、憲法違反で訴えられる危険すらある。

感染症対策が割に合わないのは、将来のリスク感度が高い人が、ほとんどの国民にとって不利益な意思決定をしないといけないことである。目の前で人が死んでいる状況では、不利益があろうが、国民は対策を支持するだろう。ところが、将来のリスク、しかも100年くらい起きていないパンデミックに対して、人々の移動に制限を加え、経済活動に明らかなマイナスをもたらすような対策、子供の教育の権利を奪い、人々の生活を苦しめる対策を取る決断。

感染症対策者は、この苦渋の決断を下す必要がある。

ところが、このパンデミックは実は思い過ごしかもしれない。全くの空振りである可能性がある。(むしろその可能性の方が高い)何も起きなかった時の批判は尋常ではない。中には会社が潰れた人もいれば、将来の進路を絶たれた若者、生活苦に自殺した人も少なからずいるだろう。実は思い過ごしでした・・・では済まされない。

しかも、実はこの対策を取らなかった世界というのを人は見ることができない。将来の選択肢は常に一つなのだ。仮に学校閉鎖をせず、ソーシャル・ディスタンスを取らなかった場合、本当にパンデミックが発生したかもしれない。でもそんな未来を見ることは永遠に不可能である。パンデミックが発生してから、「私(政策立案者)の言ったことが正しかったでしょ!」では、その人の存在意義はないのだ。

パンデミックが起きれば無策を非難され、パンデミックが起きなければ無能と呼ばれる。
これが感染症対策者の悲劇である。


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posted by しもす at 00:00| Comment(0) | 読書