2021年10月01日

アリとキリギリス

アリはどうしてキリギリスを助けないといけないか?
これを解決することが福祉の問題を解決することにつながる。

「苦労して」お金を儲けた人が、どうして「働かない」人にお金を施す必要があるのか?
ここでは、障害のある人や、身寄りのない人、病気の人への福祉は除く。

平均的な収入の家庭にあって、身体的にも健康という人達でも、努力をして経済的に豊かになる人と、そうでない人がいる。
努力しない人というのは将来も恵まれないことは理解している。
運動しない、暴飲暴食、たばこを吸う、これでは病気になる確率は高くなる。
貯金もないから老後の生活もできない。
理解しているが、将来の資産の現在価値を計算できないから、ついついつまらないことにお金を使う。

一方ではテレビやスマホを見る時間をきちんと管理し、勉強して、成功する人がいる。
勉強すること、本を読むことの方がオッズが高いのに、それに投資せず、テレビを見たり、だらだら過ごす時間に投資をした人と、そうでない人がいる。

当然配当金は違う。

アリは夏場にせっせと貯めた食料を、冬にキリギリスに渡せと言われた。
そんなバカなことはない。キリギリスはアリが一生懸命働いている間、羽を鳴らして遊び、楽しく暮らしていた。
そんなキリギリスにどうして食料を渡す必要があるのか?

福祉は再配分の問題であり、どう配るかと同時に財源をどう確保するか?という問題。
財源はもちろん労働者全員から税金や社会保険という名目で徴収するわけだが、当然稼ぎのいい人から多く取らないと成り立たない。

努力をして経済的に豊かになったアリが、素直にキリギリスに施しをすることができるか?

リベラル化され、メリトクラシーの社会では、努力しなかった人は自己責任で、福利を受ける権利もないと裁断される。
(もともと公平な機会が無い場合は別の議論が必要であるが)
左派の主張は公平な機会が無い人達の福利、配分を主張しているが、公平な機会を与えられた人達、または、より豊かになる機会を持った人がその権利を行使せずに、怠惰により落ちぶれた時、そういう人も等しく救わないといけないと言うのだろうか?

私個人、心情的にはNO(救わなくていい)であるが、では目の前に自己責任とは言え、貧乏故に、死んでいく人を平気で見ていられるかというとそんなことはない。そこ、ヒューマニズムが福祉や再配分の問題を解決する糸口になるのかもしれない。
posted by しもす at 00:00| Comment(0) | 日常
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