2022年07月30日

『教育論の新常識』 松岡亮二

こういう人たちの本を読むと、批判ばかりするのではなく、政策立案者がなにゆえそういう選択肢しか取れなかったのか、直接きいてくれ、会うなり、電話するなりできるではないかと思う。

例えば消費税を財源にした、給付型奨学金の額であるが、給付額の段差を収入によって3段階にしていると批判する。段差を増やすか、連続的に減額するような設計にしないと、収入1円の差でも不公平になる。
こんな不公平は誰の目でも明らかだし、その不公平を推してまで3段階にする必要は全くない。他のメリットが見当たらない。こうう単純なミスとも思える政策を何故策定したのか是非聞いてほしいものだ。その結果を書き留めて欲しい。
それがないと政策立案者が政治家に振り回され、思い付きで政策を立案しているように見える。知識人のごもっともな理屈を並べられ、消化不良に終わる。

と、前半はそのような印象が強かったが、最後はこの松岡さんも政策に関わり、その実現に向けて努力していることが明かされていた。それに、行政の人たちが熱意を持って、教育を変えようとしているという現場の状況も伝えてくれる。
では、優秀な官僚が寝る間も惜しんで働いた結果が、どうしてこのようなみすぼらしい結果になるんだろうか?

老人が増えすぎて、老人福祉、医療、年金に予算を使うため、そもそも教育にかける予算が足りない?
教育格差が生まれ、公立の学校では質が低下し、政策が追いつかない?
教師の質が低下するとともに、忙しい、かつ英語やITなど教える内容が増え過ぎて教科の準備ができない?

それを包括的に即座に解決する方法はないだろうし、10年、20年後は何が正解になるかもわからない。
最終的な正解でないにしても、リカレント教育は一つの解だと思う。
そのためには学生時代は少なくとも、学習することが楽しいことであると学ぶべきだ。
学生の時には日本人は他の国に比べて学習時間が多いのに、大人の学習する時間は短いという。
変なトラウマや強制されてするものという変な刷り込みがされているのかもしれない。
それは悲しいことだ。

今日の日経にふるさと納税によって地方自治体の予算配分がバランス悪くなっていると書いてあったが、配布の問題だけではなく、努力して寄付金が増えた、小さい市町村が何に予算を使っているのかを紹介してほしい。その中で教育や子育てに成功した市町村があれば、予算と連動して教育の質を上げる事例が見られるのに。日本全国レベルに目に見える教育行政を期待するのは無理なんだから、小さい市町村が頑張って欲しい。

寄付金額と返礼品のランキングを報道するだけでなく。

posted by しもす at 16:06| Comment(0) | 教育

2021年11月23日

楽観論と悲観論

グラスに水がお酒が半分入っている時、みんなは「お酒が半分減っている」と言い、
ナポレオンは「お酒が半分も残っている」と言ったという。

この教訓は、同じ事柄でも、ポジティブに見るか、ネガティブに見るかによって、全く違う捉え方になるということ。
戦争で味方の兵が半分になった時に、もう半分になったとみるか、まだ半分も残っているとみるかで、士気が変わる。
半分になったと思えば、戦いの気力が萎え、ますます味方の兵が減り、負け戦となる悪循環だ。

だからリーダーはネガティブであってはいけない。メンバーの士気を高めるために、ポジティブな思考をするべきだということ。

多くの悲惨なプロジェクトを経験して、これは真理だと思う。強いリーダーは決してネガティブにならず、メンバーの士気を高める。

ただし、本当にリーダーが能天気に未だカットオーバーまで3か月もある。まだまだ時間があるから大丈夫だ。などと本気で思いっているなら危険なことだ。リーダーは常にあらゆるリスクに対処しなければならず、安泰と思うことは厳禁である。
この気持ちを外に出すとネガティブになる。パフォーマンスの悪いメンバーも少し達成したら褒めてあげないといけないし、承認してあげないと、士気が下がり、モラルも下がる。
心配があっても明るく接し、不安をメンバーに見せてはいけない。
それであっても、メンバー全員が楽観的になっては、プロジェクトは進まない。適度な緊張感は持続させないといけない。このコントロールが難しい。

天然で楽観的なリーダーというのは、それはそれで周囲に優秀なスタッフがいれば絶大なパワーを発する気がするが、多くの場合は、楽観的な振りをして、孤独に悩むというタイプが多いのではないか?ナポレオンはどっちだったんだろうか。

posted by しもす at 10:09| Comment(0) | 教育

2021年07月05日

ステップ式の弊害

私も使っていたが、「ステップ式」という参考書のシリーズがあった。
このタイトルでなくても、100%の学習参考書はステップ式である。
つまり、達成するレベルがあって、そのレベルに向けて、知識を積み上げていくように、一つ一つの項目を、無理なく学習するという方式である。
特に、数学、英語など体系的に学習し、前に習った項目が、次の知識獲得のための前提となるような教科においては、有効な方式である。
一見何も問題と思えないこの方式のどこが弊害なのか?

大きくは2つ。

ステップを踏み外すと落ちこぼれる

本当はそんなことないのだけど、理解できない点があると、その先も全く理解できないと信じ込み、先に進もうとしなくなる。結果落ちこぼれてしまう。

ステップを飛ばして進むことに気持ちの悪さとストレスを感じる

これは勉強ができる人に多いのではないかと思うけど、例えば70点くらい取ればいい試験があって、(高校、大学入試、資格試験なんて全てこれでいいのですが)7割の努力と時間で済ませばいいものを、ステップ方式だと、10割の努力と時間をかけてしまう。

実は2つ目の方が問題ではないかと思う。
勉強のできる子供は、公立高校であれば、中学くらいまでは学校のテストは満点に近い点数を取れるはずである。
それほど多くの時間をかけなくてもいいし、努力も人並みで問題ない。
だから人が決めたステップ方式で、勉強していればほぼ満点が取れるし、大した工夫もいらない。

ところが、社会に出ると、満点の仕事などないし、逆に不要。それはきっとコストを掛け過ぎた無駄遣いな仕事のはずである。
満点を取ることに慣れてる頭の良い人は、どうしても厳密な積み上げをしたがり、途中手を抜いたり、人に任せたりするような仕事が下手である。その結果、無駄な時間をかけ過ぎて自分の時間を犠牲にしたり、周囲の人を巻き込んだりしてしまう。

システム構築の世界では、ほぼ満点を取らないといけないところもあれば、手を抜いていいこともある。
この区別がつかない人が多い。かつ金融系の人はこの傾向が強い。(システム障害になると新聞に載るからね)
しかもアウトソーシング契約や一括請負契約をしていると、一旦は発注した契約は発注側にコストダウンの意識が薄れる。
そのため10割の仕事を要求する。(本当は発注側、受注側ともに高コスト体質になるから、知らず知らずのうちにコストアップしている)

みずほのトラブルが悪質なのか、偶然(悪い目が3回連続たまたま出ただけ)なのかを極めるのは難しい。
だけど、そういうことも確率的に起こりえることは理解すべきである。そうしないと、1%の障害発生を抑えるのに、数百億のコストを使うことにもなりかねない。トラブルに関して欧米の銀行、システム、メディアは寛容に思うが、どうして日本は寛容になれないのだろうか?

posted by しもす at 14:36| Comment(0) | 教育