2022年08月13日

『僕が大切にしてきた仕事の超基本50』出口治明

本当にこの人の本は役に立つ。全て納得がいくし、ある程度は自分でも実践してきた経験がある。
よく「この本にもっと若い時に出合っていればよかった」という感想を述べる人がいるが、実際どうだろうか?
全く同じ内容ではないにせよ、本や、先輩や上司、講演などで似たようなことには絶対触れているはずである。
その時に、教訓やヒントを身に付けていないから、いつまでも「もっと早く・・」という感想になる。
それに、「もっと早くから出会っていれば」というのは、今読んでも手遅れというニュアンスもある。
そんなことはないはずだ。無意味な感想であり、褒め言葉である。

第1章 仕事を楽しむ
仕事は楽しくない、雑用でもゲーム化して判断力を磨く。
直観でいいからとにかく結論をだす。困ったらギャーと叫ぶ。

第3章 くよくよしない
仕事は6勝4敗でいい、苦い経験を糧とする
日本では失敗した人に投資しない、海外では失敗した人により投資する。

第4章 時間に追われない
考え抜いた後の「直観」を信じる、自己投資にあてる時間を最大化する
情報を発信し、直観を磨く

第5章 説得上手になる
数字、ファクト、ロジックで勝負する、数字(データ)を探す癖をつける、

第6章 部下の力を引き出す
失敗した経験こそ評価する、結論は最初に短く簡潔にまとめる
非力を認め虚勢を張らない、率先してフェアであろうとする

第7章
とりあえず行ってみてから考える、いつも好奇心に軸足を置く
相手へのリスペクトを大切にする、正攻法でやり抜いてから次を考える
迷ったら立ち止まって社会の利益を考える

全ての向上心ある人に捧げたい良本。




posted by しもす at 20:21| Comment(0) | 日常

2022年07月23日

『孫社長にたたきこまれた「数値化」仕事術』三木雄信

テクニックやノウハウとして、それほど難度の高い「数値化」技術ではなかった。
統計やコンサル会社の新入社員研修にでもありそうな「数値化」の紹介だった。
むろん、この程度の技術は私も持っているし、起業や組織で同じような問題解決をする自信はある。

この「数値化」技術を使って、有効なのは、既に「問題」が内在化されている場合である。
だから、答えが必ずあって、解ける問題。

数値化で困難なことは、ほとんど事例の無く、過去の実績や数値が役に立たない分野への投資への判断である。
この場合、「リスク」をどのように数値化して、経営判断に活かすかということが問題になる。

ソフトバンクもそういうポジションにいる。システムやAIで大きく社会を変えるイノベーションに投資するというソフトバンクの戦略はここ数年、岐路に立たされているようだ。アリババが中国というカントリリスクにより大きく株価を下げ、Uberなどのデリバリーサービスも参入が多すぎて、赤字から脱却できない。WeWorkは経営者の問題。アームの売却は頓挫。今後伸びるビジネスであることは間違いないが、利益を出せるかどうかは別。アリババのような寡占可能で莫大な利益をもたらす会社というのは、なかなかないことがわかった。ということでソフトバンクもITに特化しない投資先変更を余儀なくさせられている。

この経営判断に使う「数値」はどのようなものだろうか。
そしてそのリスクを単なる計算結果ではなく、経営者の胆力を加えて経営判断とはどのようなものだろうか?
そういう内面をあぶりだしてくれる書籍を読んでみたい。

ソフトバンクもこの程度のノウハウは機密事項でもなんでもないことだろう。
コカ・コーラが成分と製造方法を公開するのとは違う。
本にして出版したからと言って、他社が真似してソフトバンクを脅かす存在になるものではない。
それ故、市販の本で得られる情報というのはこの程度なんだろうな。

ただ、日本にはそれすらできない会社や行政機関が多く、まだまだ改革の余地は大きい。
posted by しもす at 10:25| Comment(0) | 日常

2021年10月01日

アリとキリギリス

アリはどうしてキリギリスを助けないといけないか?
これを解決することが福祉の問題を解決することにつながる。

「苦労して」お金を儲けた人が、どうして「働かない」人にお金を施す必要があるのか?
ここでは、障害のある人や、身寄りのない人、病気の人への福祉は除く。

平均的な収入の家庭にあって、身体的にも健康という人達でも、努力をして経済的に豊かになる人と、そうでない人がいる。
努力しない人というのは将来も恵まれないことは理解している。
運動しない、暴飲暴食、たばこを吸う、これでは病気になる確率は高くなる。
貯金もないから老後の生活もできない。
理解しているが、将来の資産の現在価値を計算できないから、ついついつまらないことにお金を使う。

一方ではテレビやスマホを見る時間をきちんと管理し、勉強して、成功する人がいる。
勉強すること、本を読むことの方がオッズが高いのに、それに投資せず、テレビを見たり、だらだら過ごす時間に投資をした人と、そうでない人がいる。

当然配当金は違う。

アリは夏場にせっせと貯めた食料を、冬にキリギリスに渡せと言われた。
そんなバカなことはない。キリギリスはアリが一生懸命働いている間、羽を鳴らして遊び、楽しく暮らしていた。
そんなキリギリスにどうして食料を渡す必要があるのか?

福祉は再配分の問題であり、どう配るかと同時に財源をどう確保するか?という問題。
財源はもちろん労働者全員から税金や社会保険という名目で徴収するわけだが、当然稼ぎのいい人から多く取らないと成り立たない。

努力をして経済的に豊かになったアリが、素直にキリギリスに施しをすることができるか?

リベラル化され、メリトクラシーの社会では、努力しなかった人は自己責任で、福利を受ける権利もないと裁断される。
(もともと公平な機会が無い場合は別の議論が必要であるが)
左派の主張は公平な機会が無い人達の福利、配分を主張しているが、公平な機会を与えられた人達、または、より豊かになる機会を持った人がその権利を行使せずに、怠惰により落ちぶれた時、そういう人も等しく救わないといけないと言うのだろうか?

私個人、心情的にはNO(救わなくていい)であるが、では目の前に自己責任とは言え、貧乏故に、死んでいく人を平気で見ていられるかというとそんなことはない。そこ、ヒューマニズムが福祉や再配分の問題を解決する糸口になるのかもしれない。
posted by しもす at 00:00| Comment(0) | 日常