2021年09月06日

ブログ再開

疎遠になった友人に、久しぶりに声をかけたくなってもやや躊躇することがある。
何を話ていいのか、疎遠になったことに少し後ろめたさがないか、興味・趣味の方向性が変化していないか?
そうして、ますます疎遠になっていくものだ。

ブログも同じで書くことはかなり溜まっているのだが、しれっと書き出していいのか。
久しぶりに書くのだから少し構えたテーマがいいのか?
(そうなると構成を練らないといけないな・・)

ということでなかなか再開できなかった。
でもそういう気負いは捨てて、久しぶりの友人に声かけるように、「やあ!元気?」だけでいいということにしよう。
という訳で今日は再開の挨拶のみ。


posted by しもす at 16:31| Comment(0) | 日常

2021年06月07日

13歳からのアート思考

『13歳からのアート思考』末永幸歩

1週間前に著者の末永さん自身が講演するWebセミナーに参加した。
この本を読んで衝撃を受けたこと。
「あなたは絵を観る前に、絵の解説などを読んだりして、絵を観ることに時間を使っていない」
ということである。

なるほどその通り。絵には様々なテクストやメッセージ、時代、人物、暗喩が込められているが、
これを絵から直接受け取るのではなく、誰かが受け取った解釈を2次的に伝えるられているだけなのだ。

----本文より

わざわざ戻って「かえる探し」をしていただいた方にはお気の毒ですが、じつをいうと、あの作品のなかに「かえる」は描かれていません。それどころか、モネの作品群である《睡蓮》には、「かえる」が描かれたものは1枚もないのです。

その場にいた学芸員は、この絵のなかに「かえる」がいないことは当然知っていたはずですが、「えっ、どこにいるの」と聞き返しました。
すると、その男の子はこう答えたそうです。

「いま水にもぐっている」

私はこれこそが本来の意味での「アート鑑賞」なのだと考えています。
その男の子は、作品名だとか解説文といった既存の情報に「正解」を見つけ出そうとはしませんでした。むしろ、「自分だけのものの見方」でその作品をとらえて、「彼なりの答え」を手に入れています。

彼の答えを聞いて、みなさんはどう感じましたか?
くだらない? 子どもじみている?

しかし、ビジネスだろうと学問だろうと人生だろうと、こうして「自分のものの見方」を持てる人こそが、結果を出したり、幸せを手にしたりしているのではないでしょうか?

じっと動かない1枚の絵画を前にしてすら「自分なりの答え」をつくれない人が、激動する複雑な現実世界のなかで、果たしてなにかを生み出したりできるでしょうか?

posted by しもす at 21:09| Comment(0) | 日常

2021年05月30日

論破することに価値を置く愚かさ

最近Youtubeでやたらとひろゆきの切り抜きが出て来る。
不覚にも一時期多めにみてしまってからだ。

常識をスパッと疑うところは確かに気持ちのいいところはあるが、弱者に対しての卑劣な物言いはどうしようもない。
2チャンネルを作った時からのクズさは変わっていない。

そのひろゆきを論破王と盛り立てるアベマTVもどうしようもない。
地上波では言えないことを言ってジャーナリズムやメディアの救世主みたいに思っているのだろうか。

論破することを目標に議論するのは、喧嘩を見ているのと同じ。
あまり見たことはないが、朝まで生テレビも同じような流れだったのだろうか。
田原総一朗も似たようなキャラだったなと思う。アベマが創っているわけではないのか。

喧嘩のどこがいけないか。
喧嘩は勝ったか負けたかのどちらかである。
戦った後に仲直りして握手する姿は望めない。

論理を戦わせるというのは、どちか一方が正しく、それを決めるということではない。
お互い、正しいところを認め、間違っているところを正す。
これが議論の本質。

ひろゆきのような論調や、「論破」することを目的とした討論は、意味がないどころが危険である。
問題を何か1つの答えで割り切れると勘違いして、違う答えを持つ集団を排斥しようとする。

トランプや極右政党のやり口である。
移民は悪だ。中国は悪い。
その先にあるのは分断であり、妥協点や解決方法を探るという態度はない。

ひろゆきのような人間が若い人に人気があるのかと思ったけど、ネットを見ると意外と嫌いという意見も多いようで安心した。






posted by しもす at 22:54| Comment(0) | 日常